2018年、4人の旅人が陸前高田を訪れる。まだ若いかれらは、“あの日”の出来事から、空間的にも時間的にも、遠く離れた場所からやって来た。大津波にさらわれたかつてのまちのことも、嵩上げ工事の後につくられたあたらしいまちのことも知らない。旅人たちは、土地の風景のなかに身を置き、人びとの声に耳を傾け、対話を重ね、物語『二重のまち』を朗読する。他者の語りを聞き、伝え、語り直すという行為の丁寧な反復の先に、奇跡のような瞬間が立ち現れる。
本作は、東日本大震災後のボランティアをきっかけに活動をはじめ、人々の記憶や記録を遠く未来へ受け渡す表現を続けてきたアーティスト「小森はるか+瀬尾夏美」によるプロジェクトから生まれた。『二重のまち』とは、かつてのまちの営みを思いながらあたらしいまちで暮らす2031年の人々の姿を、画家で作家の瀬尾夏美が想像して描いた物語。陸前高田を拠点とするワークショップに集まった初対面の4人の若者たちが、自らの言葉と身体で、その土地の過去、現在、未来を架橋していくまでを、映像作家の小森はるかが克明かつ繊細に写しとる。
映像作家の小森と画家で作家の瀬尾によるアートユニット。2011年4月に、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたことをきっかけに活動を開始。翌2012年、岩手県陸前高田に拠点を移し、人々の語り、暮らし、風景の記録をテーマに制作を続ける。2015年仙台にて、東北で活動する仲間とともに、記録を受け渡すための表現をつくる組織「一般社団法人NOOK」を設立。 主な展覧会などに「3.11とアーティスト——進行形の記録」(水戸芸術館/茨城/2012年)、「Art action UK レジデンシープログラム」(HUSK Gallery/ロンドン/2012年)、「記録と想起 イメージの家を歩く」(せんだいメディアテーク/宮城/2014年)、「あたらしい地面/地底のうたを聴く」(個展/ギャラリーハシモト/東京/2015年)、「波のした、土のうえ」(個展/全10カ所巡回/2015〜2018年)、「遠い火|山の終戦」(個展/東京、宮城/2016〜2017年)、「キオクのかたち/キロクのかたち」(横浜市民ギャラリー/横浜/2017年)、「継承のしさく」(個展/せんだい3.11メモリアル交流館/宮城/2019年)、「東京スーダラ2019——希望のうたと舞いをつくる」(砂連尾理との共同制作/世田谷文化生活情報センター 生活工房/東京/2020年)、「第12回恵比寿映像祭」(東京都写真美術館/東京/2020年)、「ことばのいばしょ」(札幌文化芸術交流センターSCARTS/北海道/2020年)、「聴く——共鳴する世界」(アーツ前橋/群馬/2020年)など。
地域 | 劇場名 | 電話番号 | 公開日 |
東京都 | ポレポレ東中野 | 03-3371-0088 | 2月27日(土) |
東京都 | 東京都写真美術館ホール | 03-3280-0099 | 2月27日(土) |
神奈川県 | 横浜 シネマ・ジャック&ベティ | 045-243-9800 | 順次 |
北海道 | シアターキノ | 011-231-9355 | 順次 |
岩手県 | フォーラム盛岡 | 019-622-4770 | 順次 |
山形県 | フォーラム山形 | 023-632-3220 | 順次 |
宮城県 | フォーラム仙台 | 022-728-7866 | 順次 |
新潟県 | シネ・ウインド | 025-243-5530 | 順次 |
長野県 | 長野相生座・ロキシー | 026-232-3016 | 3月27日(土) |
富山県 | ほとり座 | 076-422-0821 | 3月27日(土) |
愛知県 | 名古屋シネマテーク | 052-733-3959 | 順次 |
大阪府 | シネ・ヌーヴォ | 06-6582-1416 | 順次 |
京都府 | 出町座 | 075-203-9862 | 順次 |
兵庫県 | 元町映画館 | 078-3662636 | 順次 |
広島県 | 横川シネマ | 082-231-1001 | 順次 |
福岡県 | KBCシネマ1・2 | 092-751-4268 | 順次 |
Comments
二つのまちを往還する声に、身を寄せる旅人たち。語りえぬ受苦に寄り添い、ただ共に在ること。ていねいに想うこと、伝えること。災厄の記憶は風化ではなく、浄化を、と囁く声がする。
赤坂憲雄民俗学者
忘れられるべきでない出来事・思い。それが、しかし果たしてこの自分にそれを語り継ぐ資格はあるか? と逡巡する若者たちによって、その逡巡ごと、この映画の中で確かに伝えられている!
岡田利規演劇作家・小説家
この足の下に、もう一つの町が存在する――この感覚が捉える切実な詩情にうたれた。地割れと怒涛に町は消えたのではない。そこに生きて「在る」のだ、今も。四人の若者たちの存在は、それを語りつづけるために蒔かれる種なのだ。
小野和子民話採訪者
これは、ちいさなちいさなタネのような映画。笑みや涙がこれからいくたびも心に降りつもれば、しずかに目覚めて根と葉をのばす。それがいつだとしてもその芽を見失わないように、心を澄まして生きてゆこう、そう決めました。
こうの史代漫画家
どのように足掻いても
私はあなたになれず
あなたの話を再現することもできないのだと
表現者たちが気づいたとき
紡がれた物語はそれぞれに光り始める。
寺尾紗穂文筆家・音楽家
3.11震災の年から10年に渡って陸前高田に滞在し、地元の方々とふれあい、失われていく物語を記録し続けて来た瀬尾夏美さんと、小森はるかさん。初めて出会った日、まだ二十歳そこそこだった彼女たちの存在は、僕が「Memory Lane」のような曲をいまも変わらず歌い続ける理由になっていた。青春期の丸ごとと言ってよい年月を費やして、ただ真摯にひとつの景色を見つめ続けた2人の記念すべき映画が、「人々の記憶を代弁することの困難さ」への言及で幕を下ろした時、言いようのない感動を覚えた。防潮堤の下に埋もれた、かつての通学路、思い出の小道。「二重のまち」の底層にたゆたう、愛しい人々の記憶。その輝きを、悲しみを、損なうまいと、慎重に言葉を選ぼうとする、いつかの2人のような、若者たち。新しい語り手たちが抱える懊悩。記憶のバトンは継がれていく。過去のために、現在のために、未来のために。この映画を観た誰かが、自らの足元にふと目をやるだろう。アスファルト、コンクリート、土、草、砂。靴底を支える地面の、その下。今の私たちを成り立たせる、かつての街について、想像を巡らせずには居られないだろう。すべては過程の中にあり、けして終わっていない。
七尾旅人シンガーソングライター
作者たちによって「編む」こととして提示された一連の行為は、観客にとっては不可解な儀式の連続でもある。なぜ聞くこと、話すこと、そして読むことを繰り返しているのか、それが観客に知らされることはない。観客は手探りをしながら、この作品と付き合う必要がある。かえってそのことで発される一言一言が、一つの事件のようにも響いてくる。
人の声を聞くことを生業としている者として言えば、こんな声を聞き続ける体験はほとんどない。自分の言葉を、自分の身体から切り離さないように発する人たち。しかしだからこそ、その一言は事態をどこかへ急に連れていきはしない。 彼らは、何かをし「あぐねて」いる。そのことはわかる。結論を早急に求める人や、既に出してしまっている人にはこの停滞にも似た「あぐねる」は内向的か、愚かにも映るだろう。しかし、キャストとして選ばれた4人の若者は、むしろ各々に固有の聡明さによって「あぐねる」のだ。「編む」という語から示唆される交錯は人との出会いや対話として、上下動は想像の駆動として現れる。それはむしろ、容易に答えに至ることを徹底的に迂回するための営みとしてある。「あぐねる」ことが具体的な行為として、運動として提示されていることが、この記録・作品の計り知れない価値だ。
『二重のまち』は、あらゆる場所が「二重」である可能性(もしくは事実)を提示して終わる。私たちにも「あぐねる」ことが必要なのかもしれない。だが現実に、それが可能な場を構築し、保持することの労苦もまた計り知れない。誰かがやらなくてはいけないが、誰でもできるわけではない。瀬尾・小森の十年の営為に、心からの敬意を表する。
濱口竜介映画監督